書評:危機の外交 岡本行夫自伝 新潮社
外務省職員、首相補佐官をつとめた岡本行夫氏の自伝。現場を見てきた人にしか書けない、生々しい現場の雰囲気が伝わる、ドキュメンタリーともいえる内容で、とても感慨深いものがあった。「自分は安全保障では右、歴史問題では左だ」P5という岡本氏だが、私の安全保障についての考え方を本書を通じてかわらざる負えないものがあった。世界の中で生きていくということ、そして、韓国、中国、ロシアに囲まれた、この東アジアの日本という国で生きていくということ、そこにおいて安全はどのように保たれるのかということを考えさせられる。
以下、印象深い部分の引用。
P44
確かに、ワシントンの日本大使館は、ことの切迫性を十分知らされていず、日曜日であった当日は電信官の出金も午前10時と遅かった。「開戦通告」の電報は午前7時までには到達していたが、14部に分かれた電報を翻訳しタイプし米政府へ通告文書にする作業を日本人外交官だけで行ったため長時間を要し、文書が野村吉三郎対しからコーデル・ハル国務長官に手交されたのは真珠湾攻撃が始まった1時間後であった。
しかし、これは最終局面でのわずかな時間の差をとらえた些末な議論であり、全体が「Sneak attack」と呼ばれても抗弁できない性質のものであったと言うほかはない。太平洋戦争の英雄として今も日本人に尊敬される連合艦隊司令長官の山本五十六を含め、当時の軍部は、その後の世代の日本人をアメリカとの関係で当惑させるアンフェアなやり方で真珠湾を攻撃したのである。
P129
僕はG7サミットというまたとない場面で強く感じた。議論の基礎となる学問的な素養というものは、首脳になってから身に着けようとしても所詮はうまくいかない。要は、その国のシステムが基礎的な素養を持っている人間をリーダーにするメカニズムになっているかどうかである。そうなっていなければ、内容のない演説が上手なだけの指導者が方向性のないままその国を引きずりまわすことになってしまうと。
P321
日本にとってみじめな失敗に終わった湾岸戦争でのペルシャ湾への巡視船派遣。その11年後にインド洋への給油艦派遣で日本の責任を可能な範囲で果たしたこのオペレーションも、後藤田正晴氏が官房長官であったとすればつぶされていただろう。福田康夫官房長官は決断してくれて実現した。湾岸戦争の時の海部内閣となんとういう違いか。日本の安全保障のために必要なのは憲法改正の前に、まずきちんとした政治姿勢なのだ。
書評:英語ができません
書評:英語ができません
日本人はなぜ英語ができないのか、について記載している本で、大変おもしろい内容です。(②を除いて)一読をすすめます。
①第一章のディベートの話は大変おもしろく、参考になりました。
英語よりも、日常的な議論度の圧倒的低さ、それがディベートが弱い原因としています。
②民間試験の活用
この章はちょっと残念でした。公平性の面から、民間試験導入へ反対論を展開されるのですが、まったく共感も、同意もできないです。
そもそも、現在の大学受験自体、公平ではなくなっています。いわゆる東大などの難関国立や、有名私学に行く子女は、中高一貫の公立や私立に入っており、そこに入るには通常、塾通いして受験対策をしないと、入れない状況です。
現行制度がそもそも公平とは言えないのに、なぜ、英語を少しでも話せる人材を増やそうとする取り組みを、同じ公平性のストーリーに当てはめて、批判してしまうのかが、わかりません。
公平性が問題ならば、民間試験をうけやすくする仕組みや補助の制度をつくればいいはずです。ビデオ通話やネットを通じた試験方法など、いくらでも考えることができます。
大学試験がかわらないと、教育内容、授業内容自体がかわらない教育の在り方自体が残念ですが、それでも民間試験の導入により、Speakingに重きを置いた授業にしていこうという流れができたのは事実であり、それこそが必要な改革だったにもかかわらず、こういった公平性のはなしとかで、いつのまにかつぶされてしまったのが残念です。
③で、どうする
真犯人はあなたです。という章ですが、それいってもしょうがないよね、と感じます。
書評:早すぎた男 南部洋一郎物語 時代は彼に追いついたか 中嶋 彰 著
BlueBacksより2021年10月刊
「自発的対称性の破れ」というテーマについて研究し、2008年にノーベル物理学賞を授賞した南部先生の人生を振り返った著書。幼少期から東大生時代、戦中戦後を経て、アメリカ時代へと続く、南部先生の人生を紐解きながら、その時々の素粒子物理学の理論の説明が加えられ、難しくはあるが、非常に興味深く読める書物でした。
自発的対称性の破れというものが、正直よくわからなかったのですが、今も理解はできていないものの、なんとなくのイメージというものを、下記の例からわかることができました。
”パーティーをするべく、3人の友人を自宅に招いたあなた。丸テーブルに座り、それぞれの席の前にグラスが1つ。しかしながら、そのグラスの位置が微妙な位置においてあり、両隣の人のものなのか、自分のものなのか、わからない位置においてある。きまずい不安定な雰囲気がながれたが、そのうち1人が意を決して右前のグラスをつかむと、ほかの3人も一斉に右前のグラスをつかんで、乾杯になった...。これが自発的対称性のやぶれ。”
このように地球や宇宙に存在するさまざまな対称性は安定を求めて、「自発的に対称性を崩す」ことがある。これが自発的対称性の破れ。まさに言いえて妙だが、言われるまで気づかない。
それにしても思うのは、アメリカという国の懐の広さだと思う。60-70年代の時期に、彼ら南部先生たちはアメリカで仕事をしていくが、戦後とはいえ、敵国であった日本の人間を大学に呼び寄せ、研究させて、チャンスをあたえるというのは、逆だったらと考えるととてもできない。”本人の能力のありなしと日本人であるかないかは関係ない”ということだと思うが、そいう判断ができるアメリカ人はすごいと思う。(もちろん全員がというわけではないでしょうが)。
書評:働き方 稲盛和夫
英語の本ではないですが、2009年発行の稲盛さんの本からの抜粋です。
いい仕事をするために必要不可欠なこと。
①細部まで注意を払うこと
②理屈より経験を大切にすること
③地道な作業を続けていくことを厭わないこと
どれも深く同意できる内容で、自分のサラリーマン人生20年をふりかえっても、いずれも実体験として経験し、感じたことばかりです。
①細部まで注意をはらうこと
たとえば作成したスライドの、点や丸がついてない、とか、ちょっとした誤字脱字があるとかなど。ほんとにちょっとしたことで、指摘をすると、”細かいですね”と言われてしまうようなところですが、そいうところまで神経を配れない→細部にまでチェックできないと、どこかで抜けや漏れが発生して、失敗します。また、そういうところに気が配れない人ほど、そういう細かいところをバカにするのですが、そういう人はまず、大きな仕事を成し遂げるとか、大きな成果を出すということができません。なぜなら、細かいことの積み重ねが、大きな成功につながるからです。
②理屈より経験を大切にすること
経験を信じろ、といっているわけではなく、理屈も大事だが、いままで自分が経験してきた中で、思うこと、考えることを大切にしてみろ、ということだと思います。ここでいう経験はどちらかというと、実際の現場現物、という意味に近いとおもいます。机上の空論をこねくり回すのではなく、まず手を動かしてやってみて、現物から考えてみる。理論と実践がイコールかどうか、やってみて考えろということです。
私も実際の仕事の現場で思うのは、いわゆる「頭のいい」ひとほど、理論・理屈が先行してしまい、実際やってみる、現場現物をみてデータをとってみるということをおろそかにするようにおもいます。
③地道な作業を続けていくことを厭わないこと
最近一番無視されがちな風潮かとおもいます。地道な作業を毎日毎日積み重ねる。自分の習慣にまで落とし込み、毎日行うことで成長していくということです。
書評 英会話は筋トレ。
こんにちはTakuoです。
今回は英会話は筋トレ。という、このブログの主張に見事に合致する題名の本をご紹介です。
筆者の方が筋トレも趣味で、その筋トレと英会話の練習が似ているということでこのタイトルになったようです。
Speakingのための初心者向け読本という形で、まずは初めてみよう、やってみようというエントリーレベルの本です。
非常に簡単な文例を順番に乗せており、それを筋トレのように繰り返しSpeakingして、身につけるということを説いた本です。反復して覚えるというのは非常に大切であり、このブログも何回も説明していますが、Speakingができるようになるための王道かつ唯一の道です。
初心者の方はいちど見てみてください。
尚、同時に下記の本もみたのですが、なぜ日本人は英語が話せないのか?という疑問を冒頭から投げかけておきながら、それに明確に答えず、いきなり英文法の話をしだすという、正直なにをしたいのかわからない本です。
なぜ日本人は英語がはなせないのか、代わりにお応えしておきましょう。それは、”話す練習をしていないから”です。では、なぜ話す練習をしていないのか?
1.英語を話す環境がないから。話す必要がないから。
2.話す練習は英語の授業時間では収まらないくらい長くやらないといけないので、できなかった。
3.英文を何回もいったり、覚えようとする行為は”学問”ではなく、練習だから、漢字書き取り練習、算数計算練習と同じように、基礎的な学習行為であり、学問ではないと、見下しているから。
4.なぜ英語をこれだけやっていて、話せない人がいるのか、英語本を書いている人たちはそもそもわからないから。英語本を書く方の多くが、英語学や英文学を専攻した方々が書いており、そもそも英語が大好き。そういう人は、英語を使う機会が多く、自分からも使おうとするので、自然と話せるようになってしまう。なので、英語が嫌い、もしくは中立な人間の気持ちが理解できない。従い、まったくトンチンカンなことを言ったり、無意味な英語本を量産する。結果として、本当に必要な”練習”ということが伝えられない。
スピーキング練習の必要性 Part1
こんにちは Takuoです。
会社の新人くんたちをみていると、”日本の英語教育はなにも進化していない”と感じてしまいます。なぜなら、本当に英語が喋れないからです。
曲がりなりにも中学+高校で6年間英語の授業があるわけですし、大学でも一般教養で2年くらい英語があるはずです。
なのに、ことばが口からでてこない人が多い。なぜか?
それはスピーキング練習をしていないからです。
なぜスピーキング練習をやらないのか?
それはスピーキング練習を”下に見ている”からだとおもいます。平たくいうと、バカにしているのです。
なぜバカにしているのか。それは”学問といえないから”です。
英語学や、英文学などの”学問”からすると、英語を話すために話す練習をする、というのは”下世話な行為”であり、”学問でないから”、下にみる、バカにするということだと思います。
その結果が、6年間も英語を”勉強している人たちが、文法や難しい構文はすらすらできるのに、話すとなるとてんでできない、外国人に道を聞かれても、”Sorry, My English is not good."と英語で返すのはうまいという人たちを量産するわけです。
例を数学にとってみればわかりやすいとおもいます。
スピーキング練習は数学でいうところの計算練習、いかに早く正確に計算できるか、という能力と同じといえると思います。今の世の中で、早く正確に計算することを学問にしている人がいるでしょうか?いないですよね。公文式で基礎練習積んできてね、あとは電卓かパソコンが計算してくれるから、ということだと思います。数学という学問はもっと高尚で、崇高なもの。純粋科学の王道として、高度に抽象化された概念。極限まで洗練された数式は、美さえ意識させる。考えに考え抜いて、新しい理論、数式を生み出す過程はまさに学問...確かにそうなんですが、それらを生身の人間だけでやるなら、計算を早く正確にすることが必要ですよね。英語で言うとその早く正確にやることが必要な能力が、まさにスピーキング能力なんです。
数学が好きな人は、言われなくてもいつでも計算して、式が頭に浮かぶ状態になっている。だから、好きこそものの上手なれで、計算が早くてうまい。それと同じで英語がすきな人はいわれなくとも、読んだり書いたり喋ったりしようとする。自然と上手になる。そんな人が英語学科や英文学科に行く。教員免許もとる。学校の先生になる。結果として、”なんでスピーキングの練習が必要なのかわからない。文章やリスニングなどで英語を取り入れていき、4技能全部をつかうようにすれば、自然と話せるようになる”という、無責任な話になるわけです。
前回大学試験にスピーキング試験を導入する際に巻き起こった議論、学者の方の主張をみると、まさに上記のような話のオンパレードでした。
「大学入学共通テスト 英語民間試験導入を考える」(視点・論点) | 視点・論点 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
英語学者、英文学者の方は不要不要といいますが、日本のメーカーの営業最前線にいる身としては、まったくそう思えません。これだけ喋ることのできない人間を大量生産している日本の教育システムには欠陥があるとおもいます。
Part2につづく
Speaking練習時の日本語文について
こんにちは Takuoです。
Speakingを練習する際のSentenseがのっている、英会話本ですが、その日本語文、結構意訳になっていたり、”その日本語ですぐ、その英語はでないだろ”というものがないでしょうか?
もうすでにおわってしまいましたが、NHKラジオ講座の最上級番組、実践ビジネス英語のテキストでは、左側が英文、右側が日本文になっていましたが、その日本文のまとまり具合が素晴らしい感じで、”この日本語みても、日本語脳の学習者は、すぐこの英語はでてこないよな”と思わせるものでした。まさに、NHKラジオ語学講座の頂点をなす番組にふさわしいものとなっていました。(もう終わりましたが)
ところで思うのですが、この日本語、もっと”英語っぽい”日本語にしておいたほうが、ぱっとみてさっと言う、英会話トレーニングでは有効だとおもうのですが、いかがでしょうか?
たとえば、
Sorry for keep you waiting
お待たせしてすいません→すいません、ユーをまたせて
Would you please come back some other time?
また日を改めてお越しいただけますか→ユーもどる?また別の時に?
というように、英語順っぽい日本語のほうが、英語がすぐでてこないですか?
すぐ言いたいことが英語でいえるようになるのが練習目的で、日本語→英語への翻訳をはやくすることがSpeakingの練習ではないとおもいます。(あくまで練習の1ステップという位置づけで、おもったことをDirectに英語にできるのが最終形態)
であれば、英語順の日本語のほうが、明らかに英語になおしやすいわけで、そのほうが練習しやすいですよね。日本語として自然、良い日本語文だと、ちょっと考えて、英語文をになおす”一瞬”がはいってしまい、余計です。
そういった意味では、上記You=ユーのように、主語や目的語の人称はカタカナ英語にしてしまうのも手だとおもいます。
こんな感じで一回、練習教本をつくってみたいですね。
書評 ビジネスで瞬時に話せる!英会話
こんにちは Takuoです。 Speaking トレーニングに最適な本があったので書評レビューに加えたいと思います
この本の良い ところは3つ。
①左側 日本語、右側英語になっており、発話トレーニングに最適。
②比較的ビジネスに使われる内容が多い。
③音声データをダウンロードできる、です。
これを使って くり返し学習すれば、ある程度の文章ライブラリが自分の頭にできると思います。特に"言う内容はいつも同じ"といった、あいさつ関連の定形文とか、受け答え文とかです。
speakingは毎日の練習のつみかさねです。練習が苦しいと感じるのは①習慣にまでおとしこめてない、か②やってることに無理がある。(量が多いor内容が高度)です。 筋トレと同じで、"イタきもちいい"レベルをめざしましょう。
4技能試験についてーどこに行ってしまった?ー
こんにちは Takuoです。みなさんお元気でされてますでしょうか?
ところで最近よく思うのですが、”あの4技能試験の議論、とくにSpeaking試験をどうするのかについては、どうなってしまったのか?”ということです。
民間試験活用ということで、あれほど議論がもりあがっていたのに、2019年11月1日に文科大臣から導入を見送ることが発表されて依頼、いまや誰もなにも話さない状態です。
コロナ禍でそれどころでない、大学自体行くお金がない、などあるとおもいますが、それにしても誰もなにも話さない状態ですよね。
このブログでも何度も書いてますが、Speaking能力は素振りとおなじ、やらないとできるようにならない能力です。
日本の場合、大学入試の科目にいれることによって、ほぼ大学に行く全員が勉強することになりますので、その影響力はおおきかったはずで、私など、常日頃、仕事の現場で日本人のSpeaking力のなさを見せつけられている人間としては、日本人全体の底上げをはかる、大きなチャンスを逃したと感じてしまうわけです。
今後どのような方向性がだされるのかわかりませんが、私立大ではすでに導入&テストへの組み込みをすすめているところもあるわけで、今後この流れは変わらないと推察します。
COVIDで家ごもりをしないといけない状態だからこそ、将来に向けてSpeakingトレーニングをするようにしたいものです。
最近のコロナ禍で
みなさん お元気でしょうか?Takuoです。
最近のコロナ禍ですっかり仕事のやり方が様変わりしてしまい、通勤自体がなくなってしまい、在宅中という方も多いのではないでしょうか?
かく言うわたしもその1人ですが、通勤がなくなるとその間にやっていた習慣を別の形でやらないといけないので、そこが面倒ですね。
通勤の際に聞いていたラジオ英会話とか、立ち寄っていたコーヒーショップとか、
今はなんか懐かしさを感じるようなレベルになってしまいました...
英語入試改革、4技能検定などなどは、コロナ禍ですっかり影をひそめてしまいました。せっかくの英語学習方法の変革の機会だったのに残念ですね。
いろいろありましたので、すっかり投稿が滞ってしまいましたが、再開していきたいとおもいます。英語学習はスポーツだの精神、いまだ変わらずです。
野球の素振り、マラソンの走り込み、ボクシングのスパーリングと変わりません。日々の繰り返し、基礎を頭に浸透させ、シナプスをつないで、脳の中に回路を作り上げる、です。それ以外ないんです。楽しんでがんばりましょう!
最近のコロナ禍で
皆さんこんにちは、Takuoです。
最近のコロナ禍で在宅勤務の方が多いと思いますが、元気に英語の勉強されてますでしょうか?
最近私のお気に入りは、ABC NewsとNHK world newsのポッドキャストを聞きながら、近くの公園をスロージョギングすることでしょうか。
毎日コロナの話とトランプの選挙ネタの話ばかりですが、特にABC newsは日本のニュースなど一つもやってないので、アメリカがいかに内向きCountryかよくわかりますよ。
コロナのおかげで、英語系のテストもめっきり遠ざかってしまいましたが、TOIECなどはまた試験を再開するようですね。
英検が今見たら、今日が1次試験ですね。受けられた方、お疲れ様でした。
英検も在宅で受けられるように早くなるといいですね。方向としてはそうせざるおえない方向でしょうから。そうすれば以前話に上がっていた住居地による公平性も保てますよね。
家族がTOFELのネット受験をしたのですが、えらい厳しい受験環境チェックをされてました。Youtubeにいろいろ動画ありますから見てみてください。
そういえば英語民間試験活用の件、コロナや9月入学に押されて、全くマスコミにとりあげられなくなりましたね。9月入学の時もそうですが、なんで世の中のいわゆる、“新しいことに反対したがる”人達の意見は、いつも“いかにできないか、悪いことか”ばっかりなんでしょうかね。そういう人達から、1度も新しい提案、前向きな改良案を聞いたことがありません。特にその件が“専門”と言われている人達(大体大学教授ですが)の意見は、人を上からしか見ていない、くだらない意見が多いと思います。
(民間試験試験活用の際もそうでした。それをチャンスに駄本を出して、儲けようとする) そういう人達のことを役立たずと言うんでしょう。
愚痴になってしまいましたが、コロナに負けず、頑張っていきましょう!
最近考えていること
こんにちは Takuoです。
新型コロナウイルスで色々大変ですが、皆さまお元気でしょうか?
最近私の方で考えていること、というか気付いたことなのですが、日本語翻訳されて、日本国内で販売される本ですが、その翻訳のレベルによって、わかりやすいものもあれば、わかりにくいものがあるということを非常に感じています。
わかりやすい訳の場合、日本語としてよみやすいので、内容も比較的らくに入ってきて、よみやすいので速読もやりやすい。
一方、わかりにく訳の場合、頭にはいってこず、なんどか読み直さないといけない。そのため速読は無理で、読んでいてフラストレーションがたまり、どんなに内容がよくても読みたくなくなるということです。
読みやすい訳のものは、結局、日本語として素直に書かれており、安易な二重否定とか、口説い言い回しなどがなく、わかりやすい平易な日本語で書かれているように思います。
一方、読みにくいものはあきらかに、直訳しようとしていて、かつ、翻訳者が内容をわかっていないと感じさせます。自分がよくわからないものを他人がわかるわけないですよね。
最近読ませていただいている、わかりやすい翻訳者の本は黒輪篤嗣さんのものです。
特に『宇宙の覇者 ベゾスvsマスク』は大変読みやすく、内容をたのしめました。
翻訳者つながりで、読書するのもおもしろいですね。
英語を話す能力は必要ないのか?
こんにちは、Takuoです。
2019年10月6日の朝日新聞の記事に、英語4技能について、大学、「話す」「聞く」必要性低め、との記事がありました。
「ひらく、日本の大学」と題して、朝日新聞と河合塾が全国の大学を対象にとっている調査だそうです。
それによると、共通テストなど同一の試験で「全学的に測る必要」について、「話す」能力を必要と答えた大学は、36%であり、読むこと76%、聞くこと52%、書くこと63%とくらべて、圧倒的にひくい答えだったとのこと。
「必要ではない」と答えた大学は、東北大学、筑波大学、東京理科大、甲南大などを含む16%あったそうです。
記事の中では、大学では資料や論文を読む、リポートを書くための英語力がまず求められ、話す力は入学後に身につけても間に合うと考える大学がおおいとのべています。
教育する側がこの意識の低さだから、”I cannot speak English”と流ちょうに英語で話す日本人を大量生産するんだなと思います。
国際学会で英語で発表することはないんでしょうか?資料の発表は事前に練習できるからなんとかできても、Q&Aはちょっとできません、でしょうか?そんなんで通じるのでしょうか?
大学に留学してきた、留学生とどうやってコミュニケートするのでしょうか?ちょろちょろっといる、帰国子女にまかせればいいでしょうか?
海外の大学に留学するのに、どうやって授業に参加するのでしょうか?その前に大学にたどり着けないかもしれません。
現行の小中高の英語教育が読み、書き偏重で、話す、聞くができていないのは、あきらかです。(残念ながら)これを変えるのに一番有効な方法は、大学試験で話す試験を課すのが一番です。だから始まった英語試験4技能化だとおもいます。
いままでの教育で、できていない人たちの言うことをきかずに、どんどん施策をすすめていくべきだと思いました。
英語入試に関する色々
こんにちは、Takuoです。
少し更新時間が空いてしまいました。
英語試験ですが、TOEICが脱落するなど、チョット残念な状況になってますね。
まあ、中身的にはもともとビジネス用途メインですから、最初から大学入試に使うには無理があったと言えなくもないですが。
英検、GTEC、TEAPが優位と言われていますね。
タブレットに音声を入れて、採点する形式でしょうか。
いずれにせよ、Speakingの練習、みなさんどうされていますかね?日本財団が4-5月に17-19才の男女、1千人に行ったアンケート結果では、学校の英語の授業が役立ったと答えている人が47%だったそうです。それ以外は立っていなかったと考えており、その理由は、“いまだに英語が話せないから”58%とのこと。
日本財団「18歳意識調査」第14回 テーマ:海外と日本について | 日本財団
今の英語教育では、話せるようになりません。なぜか?英語を話してないからです。話す練習を圧倒的にしていないからです。
このブログでもなんども言っていますが、話す練習をしなければ、話せるようになりません。スポーツと同じです。
繰り返しお話ししていきたいと思います。
東大 英語試験結果 提出求めず
皆さん こんにちは。Takuoです。
ちょっと間が空いてしまいました。
東大から2020年度入試で、英語試験の結果を求めないとの方針が示されましたね。名古屋大も同様とのことです。
名古屋大、英語民間試験の成績必須とせず 東大と同様:朝日新聞デジタル
4技能、特に話す能力を伸ばしていこうということで始まっている英語試験改革だと思いますが、制度面でまだ万全と思われる状況でないため、とりあえず様子見という感じになってきました。
現在の高校1年生から本新試験制度になるので、当事者たちからすると、早くはっきりしてくれ、という感じで、かわいそうな気がします。
いずれにせよ、話す能力は、そのトレーニングをしないとできるようになりません。
また、現状の英語教育では、時間が足りない、方法が違うこともあり、それだけでは話せるようにはなりません。
試験制度の行方は引き続き、見守っていくとして、我々は必要なことを淡々とするようにしたいですね。