スピーキング練習の必要性 Part1
こんにちは Takuoです。
会社の新人くんたちをみていると、”日本の英語教育はなにも進化していない”と感じてしまいます。なぜなら、本当に英語が喋れないからです。
曲がりなりにも中学+高校で6年間英語の授業があるわけですし、大学でも一般教養で2年くらい英語があるはずです。
なのに、ことばが口からでてこない人が多い。なぜか?
それはスピーキング練習をしていないからです。
なぜスピーキング練習をやらないのか?
それはスピーキング練習を”下に見ている”からだとおもいます。平たくいうと、バカにしているのです。
なぜバカにしているのか。それは”学問といえないから”です。
英語学や、英文学などの”学問”からすると、英語を話すために話す練習をする、というのは”下世話な行為”であり、”学問でないから”、下にみる、バカにするということだと思います。
その結果が、6年間も英語を”勉強している人たちが、文法や難しい構文はすらすらできるのに、話すとなるとてんでできない、外国人に道を聞かれても、”Sorry, My English is not good."と英語で返すのはうまいという人たちを量産するわけです。
例を数学にとってみればわかりやすいとおもいます。
スピーキング練習は数学でいうところの計算練習、いかに早く正確に計算できるか、という能力と同じといえると思います。今の世の中で、早く正確に計算することを学問にしている人がいるでしょうか?いないですよね。公文式で基礎練習積んできてね、あとは電卓かパソコンが計算してくれるから、ということだと思います。数学という学問はもっと高尚で、崇高なもの。純粋科学の王道として、高度に抽象化された概念。極限まで洗練された数式は、美さえ意識させる。考えに考え抜いて、新しい理論、数式を生み出す過程はまさに学問...確かにそうなんですが、それらを生身の人間だけでやるなら、計算を早く正確にすることが必要ですよね。英語で言うとその早く正確にやることが必要な能力が、まさにスピーキング能力なんです。
数学が好きな人は、言われなくてもいつでも計算して、式が頭に浮かぶ状態になっている。だから、好きこそものの上手なれで、計算が早くてうまい。それと同じで英語がすきな人はいわれなくとも、読んだり書いたり喋ったりしようとする。自然と上手になる。そんな人が英語学科や英文学科に行く。教員免許もとる。学校の先生になる。結果として、”なんでスピーキングの練習が必要なのかわからない。文章やリスニングなどで英語を取り入れていき、4技能全部をつかうようにすれば、自然と話せるようになる”という、無責任な話になるわけです。
前回大学試験にスピーキング試験を導入する際に巻き起こった議論、学者の方の主張をみると、まさに上記のような話のオンパレードでした。
「大学入学共通テスト 英語民間試験導入を考える」(視点・論点) | 視点・論点 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
英語学者、英文学者の方は不要不要といいますが、日本のメーカーの営業最前線にいる身としては、まったくそう思えません。これだけ喋ることのできない人間を大量生産している日本の教育システムには欠陥があるとおもいます。
Part2につづく